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昭和57年秋のこと。北九州市観光課の某人が、「土佐はカツオのタタキの名物があるのに北九州には何もない。浜長どうだ、なにか名物を作っては…」と言う話があり、心がけるように思っておりましたところ、「辛子明太子ではどうか?」という話があり、頭をかかえました。何でかと言うと私は辛子明太子なる物は作ったこともなく、どのような物かもまったく知りませんでした。その頃の割烹浜長の仕入は小倉駅近くで川棚のカツギのおばちゃんから仕入れをしていました。おばちゃん達に辛子明太子の作り方を知らないかと聞くことが日課になりました。するとひとりのおばちゃんが下関で小さく明太子を作っている人を紹介してくれました。その人に会い、明太子の塩抜き漬込み液の作り方を教わりました。その時に“これが秘伝の技なのか!”と強く感じたのでした。
そして私自身で明太子を作り、人をひとり雇って販売するようになりました。しかし数ヶ月後、雇った人が使い込みをして何百万も損したのです。それで明太子作りをやめました。 ある日のこと、割烹の店ではいかの塩辛を作って出すこともあり、大量に仕入れる剣先いかが残るので、このいかに明太子の調合をしてみました。まったくの遊び心で食べられるとは思わず、そのまま冷蔵庫に20日位置いておきました。時に冷蔵庫の掃除をして中の物を出し、悪いものは捨てようと、そのいかの明太子漬けをみてびっくりです。な…なんと色よく、味よく食べられるではありませんか!それがこの浜長の「いかのぶっかけ」の起源です。
北海道産のいかの塩辛はするめいです。私はするめいかはやらわかいので剣先いかをつかうことにきめました。世の中で剣先いかを明太子味にし、「スケソウタラ」のマコと剣先いかの明太子味で勝負して、辛子明太子に勝ってやろうと思ったからです。
約2年間ほど、割烹浜長の一品前菜として出しました。そして東京日本橋の高島屋さんから販売させてほしいと何度となくお話をいただきましたが、断りつづけていました。この時期、私は高野山真言宗の僧侶として出家してました。妻と二人で九州のお寺参りをすることが私達の人生でした。宗像にあるお寺の知人がこう言いました。「そなたは48歳から50歳くらいから億のお金をつかむだろう」と言いました。あの時の話はこのいかのことかいなと、のちに妻と話しましたが、その時は夢にも思いませんでした。高島屋さんの話は、とても大きすぎると思っていました。私達の小さな店で大物と取引するなんて!!もし食中毒でもおこしたら「ベンショウ」なとようしきらない、こわいこわい~でございました。だが日本橋高島屋さんは5本でもよいから売らせてくださいと何度も何度も言うのです。ついに負けました。出荷して3ヶ月位は、夜、寝ることができませんでした。うちには一人娘がおりました。だからこのいかのぶっかけを長男と思うことにしました。どうか長男、東京へ行ってしっかり働いて親に「孝行」をしてくれと、今日祈っております。
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| 商号 | 株式会社 浜長 |
|---|---|
| 代表者 | 代表取締役 東 仁岳 |
| 資本金 | 18,300千円 |
| 事業項目 | 海産物の加工・製造・卸販売・割烹・仕出し・弁当 |
| 主な取引先 | 各地百貨店 |
| 設立 | 昭和59年3月 有限会社設立 |
| 従業員数 | 10人 |
| 所在地 |
■浜長 いかのぶっかけ加工部 (住所)福岡県北九州市戸畑区境川2-3-6 (電話番号)093-883-0033 ■浜長 弁当・仕出し部 (住所)福岡県北九州市戸畑区境川1-8-1 (電話番号)093-884-3639 ■浜長 浅生店 (住所)福岡県北九州市戸畑区新池1丁目10-1 (電話番号)093-881-0004 |
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| 昭和56年7月 | 割烹 浜長 日本料理店開店 |
|---|---|
| 昭和59年3月 | 有限会社 浜長 設立 |
| 昭和59年11月 | 『いかのぶっかけ』を開発・製造し販売を始める |
| 昭和62年6月 | 卸売販売を開始 |
| 昭和63年10月 | 『いかのぶっかけ』を商標登録する |
| 平成5年10月 | 株式会社に組織変更、現在至る |